人間から神へ、三沢光晴の冒険

斎藤が王者・小橋“抱き込み”作戦(スポニチ

【ノア】次期GHCヘビー級挑戦者・斎藤彰俊(39)が王者・小橋建太(37)への陽動作戦を開始。10・24大阪府立体育会館第1競技場で3大メジャー王座最長防衛記録となるV11を阻止すべく、王者の付き人の買収を予告した。「付き人が洗濯をサボって、みんなの英雄が洗濯をしていない汚いパンツをはいてリングに上がってるかもよ」とイメージダウンを図るもので、GHC挑戦を足掛かりにダーク・エージェント拡大を狙う。さらに敗れた場合もただでは転ばない。「記録樹立に貢献したと感謝され、お礼にダークのNo.2として在籍してもらう」と王者の“抱き込み”も視野に入れていた。


 またGHCが面白い事になっている。皮肉ではなく本当の話。前回の武道館で直接ではないが負けた人が挑戦者が挑戦というのは明かに不自然である。勿論小橋と個人的な因縁があるなんて伏線もない。この唐突には流石のノアファンも困惑というか、ただでさえ関西で弱いノアなのに……と二月の神戸のVS佐野戦を思い出す人も多い。

 かつて全日本において神がいた。勿論ジャイアント馬場の事だ。90年代天龍源一郎等主力勢の離脱により窮地に立ちファンの同情を買い、それに加えターザン山本の庇護もありジャイアント馬場は名実ともにジャイアントになり神として”ミスティフィケーション”された経緯がある。神の声は絶対である。いや神が言っているのだからと人間は”必要以上”ありがたく意味を受け取れるのだ。だから神がそのカードを考え発表したら例えそれが客観的見地からみてマンネリや手抜きに見えたとしても、確りとした論理を持つカードに受け取れるのだ。

 現在ノアのカードはいきなり空間から突如出現する。そこにはロラン・バルトの夢である作者死が実現されてしまっている。そこには神の意志や何も考えられずにただただ主観的に評価してしまうのだ。神の声は不合理な流れさえも正統性をおびさせる事が出来る。だから若し、このあともきついカードを発表するのならば神化した三沢光晴が思わせぶりに発表すればいいのだ。そうすればおのずと信者はありがたくそのカードに有意味を見出すのだ。勿論専門誌などが更に過度なミスティフィケーションをしなくてはならないが。(武藤敬二は天才と崇められる事で本当に天才といわれるようになった。継続は力になるのだ!)

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