田上の夢は何時開く

最近低迷気味です。ご協力お願いします。

○小橋健太 − ●田上明
  ※ 28分56秒 リストクラッチバーニングハンマー → 片エビ固め


 金曜はGHC戦が行なわれたが、ここで1つ夢の話をしようと思う。



「大正時代の『ナンセンス』って、言葉だけが先行した『センス』だったんじゃないの」
「『箒で空飛ぶ魔女』の原型って、オナニーしてる時の女の子の格好なんじゃないの」
大映映画のスターシステムって、意図的に冷戦構造を具現化してたんじゃないの」

「ちょっと調べてみてよ、○○君」

 とか。そうやって言い捨てて助手に調べさせておいて、表紙に自分の名前を書いて論文を発表、手柄は独り占め、というパターン。これはある種の「男の夢」であろう。僕自身、いずれはそこまでの地位に上り詰めたいものだ、と常々思っていた。

来襲より


 恐らく誰もがローコストハイリターンで物事を目標を叶えるというのは誰もが夢みる流れではないだろうか?私が田上明に見た夢……すなわち必要最低限のコスト(努力)で栄光を掴むという大衆が普遍的抱く美味しい夢を具現化してくれる等身大のヒーローとしての期待があった。

 小橋という努力の権化との対決は世の努力無しでは成功は無いという因果律をモチーフをした対立だったと思う。いや、そう思うと深くGHCを見れるではないか。結局試合は努力の人が勝利を得た。努力無しでは栄光は得れないという童話にありがちな寓話的な終わりだ。つまらない。プロレスはそういう努力しない人でも栄光を掴める特殊な疑似スポーツである。サンドマンのような自堕落キャラが成立するのもプロレスだけ。プロレスの表現方法の広さは広大なのにどうも変な教条主義的な窮屈さを感じる。アングルはあんなに放埓なのに。

▽雑記
図書館に綾辻行人の「暗黒館の殺人」と森博嗣の「Φは壊れたね」を予約しにいったら、まだ受けつけてなかった……。んでまあ『数奇にして模型』を読んだんだけど、結構面白かった。首切りというのはミステリにはありがちなシチューエションなんだけど、今回の首切りトリックは常識の裏をかいてもいたし物語の全体のモチーフにもかかっていた。ミステリ小説は形式性がある結構制約があるジャンルである。でなければヴァン・ダインの20則が出来る筈も無いし、笠井潔が評論で嘆く事も無い。そのあえて形式性の強いミステリで常識への懐疑やそこからの逸脱を謳うという辺り面白いと思った。

参考までに他のサイトを観たら、紀世都犯人説というのもあるみたいだ。確かにラスト頁の模型を読むと引っ掛かりを覚える。もしかしたらこれも小説を占めるテーマである常識へに問い、探偵役の推理は正解であるという常識さえも決定不可能性に落す仕掛けではないだろうか(仮にそういう意図で書かれたのであれば紀世都犯人説が発展し開花しているのでその装置の役割は果たされている、しかし私は〇〇の自供を全部真実であると信じたい)