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斎藤 デス技連発で小橋壊す(スポニチ

 ノア東京大会が11日、ディファ有明で行われ、GHC挑戦者・斎藤彰俊(39)が王者・小橋建太(37)の右腕を破壊した。10.24大阪を前に、6人タッグで今シリーズ唯一の前哨戦。1発目に琉球空手の突きから開発した新技「デス与座」で失神させた。デス技連発の末、終了後は花道にはりつけてイスで命綱を破壊。王者のV11阻止、初戴冠へ近づいた。

 新技は1つではない。デス与座は琉球空手の使い手、お笑い芸人のホームチームから授かった。ほかに屈辱技として柳沢慎吾が「あばよ」、ホリが「ちょっと待てよ」を伝授。反復させることで、帰るのかとどまるのか惑わせるという。


 写真を観た瞬間斎藤が北原光騎に見えてしまった……。にしても相変わらず新技アングルである。決して新しい冒険に打ってでない堅実路線。いやチェスタトン張りに逆説をかませば良いアングルを発動させれば評価される時代、冒険しない事が大冒険なのである。普通チャンピオンシップなら何かしら不安なので”ネタを仕込む”筈である。そしてその慣れないアングルのせいで普段から慣れないスポットを入れられ試合がぐちゃぐちゃになり結局失敗してしまうなんて事になるのだ。
然しNOAHは試合内容至上主義なので、試合内容をぐらつかせる可能性のあるものは全て断固挿入しないのだ。決して怠慢ではない。あくまでも戦略的なのである。


藤傷ついた 新日と“絶縁”(デイリー)

 全日本の武藤敬司社長(41)が、長州力(52)=リキプロ=をリングに上げた古巣・新日本と“絶縁”する可能性が高まった。武藤が新日本マットに上がる“理由”となっていた、かつての付け人・棚橋弘至(28)=新日本=が11日、全日本マットを含め同社長と絡むことが難しくなったとの見解を示したもの。新日本の9日・両国大会での長州の登場が、同大会で“主賓”を務めるはずだった武藤のプライドを傷つけたことが原因とみられる。


 マット界における絶縁と引退という言葉程信用出来ない言葉はない。このまま険悪ムードを育て上げれば何時しかの切り札カードまで育て上げれると思うが、しかし如何せん今の新日本に長州と武藤を調停出来る力はないだろう。あれば藤田VS佐々木の悲劇は防げた筈。けれどもこういうのを読むと非常にもどかしい。因縁が深まるのはいいけどただ深まるだけなのである。それを繋ぎ合わせプロレスにしたてるような人は団体が欲しい。ハッスルは資金的にはそれが可能なただ唯一の組織だと思うが。


佐々木と川田「4冠統一戦」浮上/全日本(日刊)

 IWGP新王者・佐々木健介(38=健介オフィス)と全日本の3冠王者・川田利明(40)の「4冠統一戦」が浮上した。11日の全日本後楽園大会で佐々木は中嶋と組み川田、石狩組と激突。試合後も川田と張り手合戦を展開した。9日の新日本両国大会で藤田から不本意な形でIWGPベルトを奪った佐々木は「燃える相手とやりたい。あいつとなら熱くなれる」と01年1月以来の宿敵・川田とのシングル戦を熱望した。「今のおれは王者として胸を張れない」と新日本でIWGP王座の防衛を重ね、最高の状況で川田とのシングル決着を願った。


 またお得意の統一話だ。といういうか四冠なんて話で両国の事を払拭しようとしている。何処までも他力本願。藤田やサップの不始末も結局困った時の外様とばかりの他力本願体質が生んだ膿だったのでないだろうか。


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雑感

再放送の話

映画を録画しようとしたらなんと今テレビ朝日西部警察が再放映しているではないか。恐らく日曜洋画劇場枠でお蔵入りになっていたSPの放映に合わせたプロモーションだろう。個人的にはパート1よりもパート2からのあのハイテンションのOP曲が好きだ。

巨星の話

ジャック・デリダが亡くなった。はっきりいって個人的にはクリストファー・リーブ死去よりも衝撃的だった。これで哲学入門の類で紹介されるような大哲学者は殆ど冥界に逝ってしまったという事か。あとビックネームといえばジュリア・クリステヴァハーバーマス、ジャン・ボードリアールぐらいだろうか。寂しいものである。というわけで私がデリダに関して薀蓄を言えるわけもないので2ちゃんねるで拾ったハーバーマスの追悼翻訳文を転載しよう。


ジャックデリダは、彼以外にはただミシェル・フーコーが為し得たように、ある
世代の精神全体にムーヴメントを巻き起こした。この精神が、この世代を今日ま
で生きながらえさせている。しかしデリダは、フーコーのように政治的な思想家
であったにもかかわらず、彼とは違って、自分の教え子達の衝動を教習用の路線
へと引き込んでしまった。彼においては、教義の内容はもちろん、世界に新たな
視線を投げかけるような一つの語彙への習熟すら、第一義的ではない。これらも、
その一端を担いはするのだが、しかしデリダにおいて目指されているのはむしろ、
微に入り細に入るような読みや、時代に耐えうるテクストから様々な痕跡を見出
す行為そのものへの習熟なのである。アドルノの否定弁証法がそうであったよう
に、デリダ脱構築も本質的に一つの実践なのだ。多くの者が、彼が泰然と付き
合っていた重病の事を知っていた。その死の訪れが予想されていなかったわけで
はない。にもかかわらず、それは今、まるで唐突な、そして早すぎた出来事のよ
うに我々に襲い掛かる ― この死は、日常の感覚や、日頃の平静から我々を引
き裂いてしまったのである。すべての知的エネルギーを強大なテクストの内的な
読み込みに費やし、話し言葉の現前に対する搬送可能な文書の優位を寿いだこの
思想家は、きっと自らのテクストの中に生き続けるに違いない。だが我々は、デ
リダの声や、彼の現在が失われてしまったことを知っている。

それぞれのテクストが自分の破壊的な意味を放棄するまで、その毛並みに逆らっ
て読み続ける、といったような著者として、デリダは読者達の前に現れる。断固
とした彼の視線の元で、それぞれの関連は断片へと崩れ去る。揺ぎ無いと思われ
ていた足場が揺らぎ始め、二重の足場がその正体を現す。常識的な階級、秩序、
対立といったものが、逆行的な意味を開示する。我々の自宅のように見えるこの
世界は、まるで住むことがかなわない。この世界の者ではない我々は、多くの余
所者たちの中の余所者であり続ける。最後にはその宗教的メッセージは殆ど暗号
化すらされていなかった。

匿名の読者達に対して、その著者の顔を覆っているヴェールをはっきりと取り去
って見せてくれるようなテクストなど、めったとありはしない。実際デリダは、
始めて現実に相見える際には読者達を驚かせるような著作家の一人であった。彼
は人が思い浮かべるような人物とは全く違っていた ― 並外れた愛嬌は、殆ど
優雅といっていいほどで、ある意味で傷つきやすく繊細。しかしその実、交友巧
者であり、彼が信頼を寄せる人間に対しては、好ましく開けっぴろげでもある。
つまるところ社交的かつ人付きの良い人間なのだった。私はうれしく思う、六年
前、かつて我々がシカゴのそばのエヴァンストン(私は今そこでこの最後のお別
れを書いているのだが)で再会したとき、彼が再び私に信頼の情を寄せてくれた
事を。

デリダアドルノと出会うことがなかった。しかし、アドルノ賞の受賞の際に彼
パウル教会で行った講演は、思考の身振りにおいて ―ロマンティックな夢の
モチーフの秘密の襞に至るまで― アドルノの独自の精神とこれ以上はないとい
うくらい親密なものだった。ユダヤの出自は彼らの思考を結びつけるエレメント
である。ゲルショム・ショーレムという存在は、アドルノを挑発し続けたし、エ
マニュエル・レヴィナスデリダにとっての師となった。デリダの著作はドイツ
にある種の浄化・透明化作用をもたらすかもしれない。彼は、モーゼの原初にお
いて新手の異教徒的な裏切りを行うことなく、後期のハイデガーを自家薬籠中の
ものとしていたのである。